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海洋大ラグビー部記録 2016/4

The answer is "there's no way."

投稿日時:2016/04/22(金) 05:01

ご無沙汰しております。

恐れ多くも現寮長からご紹介を頂きました、海洋生物資源学科の石渡です。

今春より4年次となります。

 

海洋大ラグビー部のブログを書くのもこれで4回目となります。

もうすっかりベテランの域です。

なんですが、奇しくも毎年同じような時期に順番がまわってくるため、書くネタが尽きてしまいました。

ちなみに去年は春シーズンに向けての意気込み、一昨年は新入生勧誘の戦略について書いた気がしますね。1年の時は何書いたんだっけ。 

 

さて、なぜ前記事で寮長にあんなことを言われているのかというと、実は今春より横須賀市に本拠を構えることと相成りまして、平日の練習はもちろんのこと、土日も参加出来るか怪しい・・・といった状況下、完全に同期の信頼を失ってしまっているからです。

そんな中途半端なやつがなぜまだラグビー部にいるんだ?とお思いの方もおられると思います。実際、その通りだと思います。弁明します。

 

実は昨年の秋、今年度の横須賀行きが決まった時点で、悩んだ末、遠方での研究と部活の両立は不可能と考え、一度は退部を決断致しました。まさに下手の横好きといいますか、たいして上手くもないのにラグビーが凄く好きな自分にとって、その決断は非常に苦しいものでした。

しかし、その後同期に退部の旨を打ち明けたところ、「休部扱いで構わないから残れ」、「一緒に引退しよう」といった言葉をかけて貰ったことで決意が揺らぎ、現在に至るというわけです。

 

今は、その時引き止めてくれた同期にとても感謝しています。残ったからには少しでもチームの力になって、恩返ししたいと考えています。

なので、平日練習に参加できない分は自身で体を鍛えて気力を蓄え、そして平日溜まったストレスも含め、土日に全部ぶちかます、そして去っていく、といった方針でいきます。

異論は認めません。また、もう辞める気もありません。

今回のタイトルですが、そんな選択はありえない、って意味です。

前回記事の寮長の問いかけに対しての返答ですね。笑

 

わざわざ横須賀までいって何してるんだ、といった声が画面の向こう側から聞こえてまいりましたので、これについても回答させて頂きます。

海洋大には連携大学院という制度が存在しており、興味を持った研究が学外の研究機関にて行われている場合、研究生という形で所属することで、卒論研究等を当該機関にて行うことができます。

海洋科学部の場合は水産総合研究センター(今年度より水産大学校と統合し、水産研究・教育機構に名称変更)及び海洋研究開発機構(JAMSTEC)と連携を行っておりまして、僕は後者の機関にて研究させて頂くことになったのですが、その本部は横須賀市の外れに位置しており、越中島から毎日通うことは不可能だろうということで、退部だの何だのといった先ほどまでのお話になってくるわけです。

ちなみに卒論では、有孔虫という生物(沖縄土産の星砂とか有名です)を用いて、進化のメカニズムに関する研究を行う予定です。

 

 

・・・長々と小難しくって固苦しい話をしてしまいましたので、ここからはちょっと好きに書かせて頂こうかと思います。

 

 

実は最近、すごく気になっていることがあります。

というか正確には、小3の時くらいからずっと気になっていて、一度落ち着いたのですが、ここ最近で急に盛り返してきたといった感じです。

裏返して言えば、小3から考えていることが全然変わってないわけですが、その点は自覚しているので大丈夫です。大丈夫じゃないですね。はい。

 

で、何が気になっているのかというと、『デジャブ』です。

 

デジャブってご存知ですよね?

間違いなくはじめて来た場所なのに来たことがあったり、はじめて会った相手との会話のやりとりを一字一句たがわずに以前経験していたり。日常の何気ない一瞬の中でも、登場人物やその配置、行動、景色や背景、そして語りかけてくる言葉、そのすべてが完璧に記憶と一致する瞬間、それらがデジャブとよばれる現象です。

 

ちなみに表記は”deja-vu”、フランス語で【すでに見た】って意味だそうです。

よく「既視感」って訳があてられますよね。

 

 

※ここからは長くなってしまうので、デジャブとか興味ないや~という方は【戻る】ボタンを押すことを強く推奨いたします。ご愛読有難うございました。

 

 

それでもまだ読んで下さっている皆さま、ありがとうございます。

少しでもご期待に沿えるよう、頑張らせて頂きます。

 

 

さて、このデジャブという現象ですが、脳科学やら何やらがこれだけ進歩した現代にあっても、未だにそのメカニズムが解明されていません。

記憶処理の構造上一定の確率で起こるバグだとか、海馬(脳の一部で記憶を司る部位)の損傷によって酷似した状況の判別が不可能になるとか、有力視されている仮説はいくつかあるものの、どの説も推測の域を出られずにいます。

・・・こんなわくわくすることがあるでしょうか。

 

ちなみに小3の時の僕は、デジャブが起こるのは平行世界(パラレルワールド)の自分が一足先に体験したことを、現実世界で再体験してるからに違いない!と信じて疑っておりませんでした。

今思えば、小3にして既に中二病ですね。あーはずかし。

 

あれから十数年、僕も少しは成長したと思います(希望含む)ので、ここではもう少しマシな仮説を展開したいと思います。

仮に名称をつけるならば、“まさ夢仮説”です。

結論からいうと、デジャブはすべてまさ夢である、と言いたいわけです。

 

デジャブを体験したことのある方なら、すぐに反論が出るでしょう。

夢であそこまで完璧に現実を予測できるのか、そもそもそんな夢は見た覚えがないぞ、と。

僕自身、人物の配置や話している内容まで夢で予測できるのかと考えると、かなり疑問が残ります。

 

ではそもそも、なぜ夢をみるのでしょうか。

面白いことにそのメカニズムも未だわかっていないそうです。

ただし、わかっていることもあります。

 

まず、睡眠時には、レム睡眠と呼ばれる脳が覚醒した状態と、ノンレム睡眠と呼ばれる脳が休息している状態が交互に繰り返されていることがわかっています。

このうち、脳がレム睡眠状態にあるときに夢をみるとされています。

つまり夢をみている時、脳は休めていません。

何かしらの理由があって一生懸命働いています。

 

そしてその夢、見る日もあれば見ない日もあるというのが私たちの一般的な感覚だと思いますが、実際には毎晩無数に見ているんだとか。

そのうち、特に印象に残ったものだけを私たちは夢として認識している、というのが脳科学者の主張です。

 

ここで疑問が浮かびます。

なぜ、レム睡眠という状態が存在するのか。

睡眠という行為が疲れた心身を回復するためにとる手段である以上、せっかく脳を休ませようとしているのに、脳が休んでいない時間帯があっては非効率な筈です。

 

でも、存在している。

僕は生物専攻ですので、存在しているものには全て理由があると考えてしまうわけですが、これに関しても例外ではありません。

大抵のことは、進化(というより淘汰)に関係していると思ってしまいます。

 

さて、ここからは僕の妄想です。

例えば、かつてノンレム状態のみで睡眠を行う先祖と、交互にレム・ノンレム状態での睡眠を行う先祖がいたと仮定します。現行の人類にレム睡眠状態が認められることから、後者が生き残ったことは明らかですが、であればレム睡眠があることによって、前者よりも有利な点があったはずです。

で、この有利な点こそが、「夢をみられること」だったのではないでしょうか。

 

人は起きている間に、五感を通じて実に様々な情報を得ています。それは私たちが意識しているものばかりではなく、例えば視界の端っこでわずかに捉えただけのものであったり、何気なく聞き流した街頭のニュース、意味もなく手でふれたものの質感や形など、膨大な量の情報を無意識のうちに取り入れています。そしてその溢れんばかりの情報は、いったん保留され、睡眠時に整理されるといいます。

 

ありとあらゆる手段を使って自身を生存・適応させていくのが生物の常です。

その整理された情報ですが、きっと脳は何かに活かしたいと考えているはずですよね?

明日はどんな危険が待っているかわからない世の中、持てる駒全てを使って少しでも生存率を上げたい。有象無象の情報ではあるが、どうにかして役立てられないだろうか、と。

 

そこで、夢の出番なわけです。

 

脳は、その整理された情報を様々に組み合わせて、ありとあらゆる状況をシミュレーションします。それは例えば、寝る時に雨が降っていたという情報と近くに川が流れているという情報から、洪水の夢をみさせたりといった形です。もちろん、実際はもっと膨大な量の情報が複雑に絡み合って、一つの夢を形成しているのだと推測します。そのため、実際にみる夢は突拍子もないものが多くあり、また一方で妙に現実味を帯びたものもあるのではないかと。

 

そして、その形成された夢のうち、特に恐ろしい内容だったり、気味の悪い内容のものは、強い不快感と共に記憶に残ります。いわゆる悪夢です。悪夢もその他の夢と同様、突拍子もないものから妙に現実味を帯びたものまで様々みるわけですが、このうち現実に起こりそうな悪夢に関しては、その悪夢が現実世界で起こらないよう、努力や警戒をすることが少なからず可能になります。危険な要素を事前に排除することができます。つまり、持ちうる情報から考えられる最悪な状況を、回避することができるかもしれないのです。

これこそが、「夢をみられること」が生存上有利に働いた理由ではないか、と考えるわけです。

 

さらに時として脳は、現実味があるとかそういった次元ではなく、それらの情報を組み合わせて完璧な未来予測を行ってしまいます。まさ夢です。

 

まさ夢をよく見る人がいると言いますが、これは無意識下における情報処理能力が高かったり、或いはそもそもの知識量・情報量が多い人が夢の中でシミュレーションを行った結果であると考えると、別段不思議でもない気がします。

古来、まさ夢は“お告げ”“啓示”といった形で認識されていたようですが、そのまさ夢をみることが出来る人、当時の言い方でいうなら“神の声が聞こえる人”が絶大な力を手にできたであろうことは想像に難くありません。卑弥呼だってそうかも。

 

まさ夢を多く見る人の中には、起床時にその日見た夢を書き留めておく人が少なからずいるようですが、9.11の起こった際、二棟のビルに何かが突っ込む、また二棟のビルが折れる、炎上するといったメモを書いていた人が、世界中に多くみられたという話を聞いたことがあります。

その人たちはおそらく世界情勢に敏感であったり、「パレスチナ問題」「アルカイダ」「アメリカの象徴」この辺りの要素を夢の中でつなぎ合わせたのでしょう。

 

 

ずいぶんと遠回りになってしまいましたが、ここまで話してやっと本題に戻れます。

デジャブについてです。

 
 

先ほど、人は毎晩無数に夢をみているといいました。そして、そのうち印象深いものだけを夢として認識していると。つまり、人は情報を様々な形に組み合わせ、ありとあらゆる状況を夢の中でシミュレーションしている可能性があり、そのうち悪夢といったような形で印象に残らなかったものは、不要なものとして脳の奥深くへ沈んでいき、記憶からは薄れていくのでしょう。しかし、消えずに残っているはずです。

 

デジャブは往々にして、何気ない一瞬や、とりとめのない会話の最中に起こることが多いといいます。これは、上述した夢の性質と相補的だと感じませんか?

 

 

結論です。

つまりデジャブの正体とは、夢でシミュレーションした状況のうち、印象に残らなかった場面に遭遇すること。言い換えると、忘れていた“まさ夢”だといえるのではないか。

これが今回の主張、“まさ夢仮説”()です。

 

 

ここまで読んでくださった方、本当に有難うございました。

というかこんな超長い駄文につき合わせてしまって本当に申し訳ありません。

こんな長くなるつもりはなかったんです、ほんと。

 

書いてみて思ったのは、なんか小3の時からあんま進歩感じませんね。

中二病全開なところとか。

これならパラレルワールド説!とか言ってた方がまだましだったかもしれないです。笑

 

 

ではあらためまして。

 
 

最後になりますが、いよいよ春シーズンが始まります。

僕たち4年にとっては最後の春シーズンです。

まずは神戸との定期戦、必ず勝ってスタートダッシュを決めたいと思います。

全力で戦ってまいりますので、応援よろしくお願いします。

 

 

えー次は、前回の担当者よりも長い文章を書くことで有名な海洋大の五郎丸ことO石君です。

乞うご期待!

 

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